これまでの記事でストリートカルチャーやメロコア、ハードコア音楽への思いを語ってきた鳥羽山氏。今回は、彼が中高生だった1995-2000年における音楽との出会いから、それらをどうディグっていったのかを聞いた。陸の孤島、那智勝浦町でストリートカルチャーに目覚めた青年は、仲間たちとともにどのように趣味を掘り下げていったのか。合いの手に鳥羽山氏の盟友・丸山由起さんを迎え、その軌跡をたどる。
|メロコアへの道、Hi-STANDARDの衝撃|
――中学生から音楽に興味が湧いてきたのですか?
鳥羽山 もともと僕、小学校の頃から音楽を聞くのが好きで、小学校の頃からスチャダラとかは知ってたんですよ。月1回のお小遣いでCD買ったりしてるなかで、たしか中2やったんかな。家でケーブルテレビが導入されて、音楽専門チャンネルが見れるようになったんですよ。そこで、ハイスタ(Hi-STANDARD)のPVが流れてて。衝撃を受けて。なんじゃこの人らってなって。それで、3つ上の姉に聞いたら「あんたハイスタ知らんの? ものすごい流行っとるで」ってCDも持ってて。
そこからそういうジャンルの音楽をいろいろ聞いていくんですけど、まあ、田舎なんで、情報をキャッチする術が……。まだ当時中2なんで、雑誌を定期的に買うほどお金もないし、CDとかもね、月に何枚も買えるわけじゃないんで。結局ケーブルテレビが情報源で、それを見ていくんですけど、そのうち病気して、入院してしまうんですよね。それで、そういうのも一回全部情報もなくなるんですけど。
ただね、入院中に、姉ちゃんに「あんたほしいもんないんか」って言われて。そのときに、「BLANKEY JET CITY」っていうバンドがあって、新しいアルバムを出したんですよ。それで、新しいアルバム出したからブランキーのCDを聞きたいんやって言ったら、それを買ってきてくれた。スカンクっていうアルバムなんですけどね、あの、メンバー3人が全裸のジャケットで。えらいもん頼んだな、と思って(笑)。だから、入院中はスカンクをひたすら聞いてました。
――見ましたが、スカンクやばいですね……
鳥羽山 これ、ジャケットのカバーのところに黄色のステッカーが貼ってるから買ってきたときは見えないんですけど、歌詞を見るために取ったら、これ(全裸)なんで。
――一応隠してますけどね……
鳥羽山 一応ね。
――ハイスタのPVを見てからメロコアを聞くように?
鳥羽山 要はそういうジャンルというか、激しい音楽があるっていうのと、その当時の自分の感情が激しいのを求めたんで。俺が求めてる音楽や! っていうのはありました。こういうの聞きたかったんや、っていうのはでかかったですね。
――ハイスタ、英語の歌詞が多かったりしますよね?
鳥羽山 そうです。早いビートやったり。あとは日本人やのに英語やったり、聞いたことないポップなメロディーとかも。本当に聞いたことなかったので、これこれ! これが聞きたかったんやって。
――そこからメロコアのドアを叩いたみたいな感じなんですね。
鳥羽山 メロコア、パンクっていうのを知って、どんどん激しい方向にいくんですけどね。そこからはメロコアっていうよりはハードコアとかそっちのほうにいくんですけど、でも、わかりやすいし、ポップやし、かっこええし。そら当時は、みんな聞いてましたね。
――友達も一緒にハマっていったって感じでした?
鳥羽山 えっと、そうですね。やっぱりあの当時の十代、中学生・高校生は。絶対誰かCDを持ってたんで。まあ、出回るじゃないですか。特に、姉がいたんで、やっぱり高校生の情報の新鮮さっていうのは、田舎でもあったんで。姉からの情報はでかかったですね。
――音楽については、地元で先頭走ってるぞ感もあったりしたんですか?
鳥羽山 そうですね、どうしてもね、田舎っていうのがすごいいやというか。どうしようもないんですけどね、あったんで、そこで一個自分の得意分野というか、自分はこういう人間やぞみたいなのが欲しかったんか。単純に好きやったというのもあったと思うんですけど。なんか、俺は音楽詳しいんやぞみたいなポジションにいきたかったんでしょうね。
|それぞれの得意分野を教え合う専門集団|
――冒頭に音楽番組から音楽をディグっていった話を聞きましたけど、その他はどんなふうに情報を集めましたか?
鳥羽山 中学生の時はケーブルテレビがメインで。高校生になると今度は、新宮(隣町の市街地)にCD屋さんがあったんですけど、そこがインディーズのパンク系とかハードコア系を結構扱うようになって。だから全国的に流行ってたんでしょうね。そこで、一気にいろんなことを知りますね。
オムニバスっていう、いろんなバンドが入ったやつをいっぱい置いてたりして、そこから一気に海外のバンドとかの情報をゲットできるようになったりとか。雑誌も買えるようになって、そこからの情報をゲットしたりとか、ですね。
――どんな雑誌を読まれていました?
鳥羽山 ええとね……
丸山 ドールと、イートマガジンやん。
鳥羽山 そうね、そっち系やね。
丸山 スケーター系の、ワープとかオーリーとか。
鳥羽山 ワープもわりとね、わりと偏るけどね、ワープは。裏原系。
――裏原宿?
鳥羽山 当時そういうバンド系の人たちとアパレル系の人らっていうのがすごく密接に関係してたんで。アパレルが原宿の裏側。裏原っていわれるエリアに、すごくいっぱいお店が固まってたんで、総称して裏原系って言われてた。当時のストリート系ですかね。
――雑誌を買うお金も中学校の頃なかったって言ってましたけど。
鳥羽山 その頃になったら、自分が買えなくても友達が買ったりとかもあったんで。友達の家に行ったら、自分が買ってない雑誌があってそれを見たりとか。僕んちにきて、友達が読んだりとか。ワープを買わんやつが、ワープを読んで情報を入手したりとか。そういうのが一気にばっと広がったんですよね。高校に行ったことで、人脈が広がるじゃないですか。それでもう、よりいろんな情報がゲットしやすくなったし。
丸山 Webがない時代なんで、情報を引っ張れるやつが偉いんですよ。こういうの知ってるよっていうのが、一目置かれたりもするっていう。それぞれがディグったりとか、恭兵さんやったらメロコアやし、よく見てて深く知ってるから僕らも教えてもらったりとか。僕は違う分野でいこうとか、掘ってないところにいこうとか。みんなで情報を持ち寄るみたいな。
鳥羽山 由起にはレンチを教えてもらったけどね。
丸山 そうそう、レンチっていうバンドがあって。
――それぞれの得意分野があって。なかでも鳥羽山さんの得意分野はどこだったんですか?
丸山 結構まんべんなく早かった気がするね。
鳥羽山 でも、ハードコアというよりは、メロコアのほうが多かったんかな、いま思ったら。
丸山 俺のイメージとしては、まあ激しいのも好きやけど、ちょっとこのマイナーリーグとかやったらど真ん中やけど、いち早くミクスチャーとか。ヒップホップとパンクが混ざり始めたあたりとか、そういうハードコアやけどテクノやったりっていう、広げていってくれるイメージがあったかな。俺らやったら、深堀りしていくタイプやったけど。視野を広げていってくれるような立ち位置。
鳥羽山 デジタルハードコアっていうサブタイトルがあったから、それに騙されて買ったら、意外とよかったやんっていう。そう、チャレンジはしたよね。
丸山 お金ないのにね、CDにつぎ込みまくったもんね。
|買いすぎて、店の棚がどんどん増えていった話|
――いつもどこでCDを買ってはったんですか?
丸山 新宮の福田さんっていうCD屋さんなんですよ。あそこ二階建てで、一階が本屋さんで、二階がCDショップで。僕らがあまりにも買うんで、だんだんとね、棚が増えていく。
鳥羽山 そうやよね、最初あんなになかったよね。
丸山 最初は一棚の半分くらいに、そういうパンク系とかがあったのが、一列全部になって、二列になってって。インディーズで安いんで、頑張って一万円持って行ったら5枚全部買ってくるんですよ。
当時、どんな音楽か聞けないし、ライナーノーツとか、CDの中に書いてるスペシャルサンクスで友達のバンドとかがあれば、そこからこのジャンル近いんちゃうかだけで数千円払わんと聞けないんです。
――試し聞きとかはなかったんですか?
鳥羽山 やっぱりメジャーの宇多田ヒカルやったら聞けるんですよ。でも、そんな大物アーティストじゃない僕らが好きなアーティストには試し聞きはなくて。
丸山 もう宝探しです。ジャケットだけで選ぶとか。恭兵さんとかも、そういうのにガンガンつぎ込んでくれて、僕らもつぎ込んで、共有して、っていう世界観。
――なぜそこまでして好きな音楽に?
鳥羽山 単純に、かっこええ音楽を聞きたいっていうのがあったのと。誰もまだ、このCDを持ってないだろうっていう。
丸山 コレクター根性も多少あったよね。
鳥羽山 もっといろんなバンドを知りたいっていうのもあったし。
――シンプルに音楽が好きだったんですね
鳥羽山 単純にそれやと思う。
丸山 大阪とか大学とかに出て行っても、僕らが高校時代に友達とかと深堀りしてたレベルの話ができる人がいないんですよ。
鳥羽山 確かにそうやったね。
丸山 つまり、わりとコミュニティの中でみんながやりすぎてて、ちょっと田舎もののくせにいつのまにか、あれ、俺ら知らんところまで来てるでみたいな。
|ライブへ! 変化するディグり方|
――ディグり方、最初はすごいシンプルに調べてCD屋で買ってみたいなところに変わっていったんかと思うんですけど、どういうふうな変化がその後あったんですか?
鳥羽山 そうですね、ライブに行くようになったんですよ。初めてが高校1年生の冬休みやったかな。地元の先輩にすごい詳しい人がおって、その人からライブあるけど行くかって言われて行くようになって。そこから自分らでチケットを取って行くようになったんですよ。行くと、いろんなバンドが出てるんで、実際に生で観れるじゃないですか。それでやっぱり衝撃を受けたのがこれですね、マイナーリーグ。別のバンドを目当てに行ったライブで、マイナーリーグも出てて。めちゃくちゃかっこよくて、なんじゃコイツらって思って。ライブ観終わって地元帰ってから速攻買いましたね。
――地元(福田さん)にそのCDがあったんですね!
鳥羽山 この名前とかアルバム自体はずっとあってよく目にはしてたんですよ。でもやっぱりジャンルがハードコアとかなんで、ちょっと怖いなっていうのもあったんですけど。実際ライブを観てしまうと、普通に音源聞くのとは違うんでね。
丸山 ステージングに圧倒されるとかあるもんね。音圧とかで聞こえ方違ったりね。
鳥羽山 まだCDを聞くほうがはっきり聞けるはずなのに、音源聞いたことのないバンドを聞いて、かっけえ! って思ったんですよ。ちゃんと聞き取れるわけでもないのに。かっこええなって思って。それからまた、そういうディグり方というか。やっぱり現場やなって思いましたね。
丸山 当時のライブって、まあ、1バンドのワンマンやないんですよ。特にパンクとかあのあたりは。マイナーリーグを恭兵さんが見つけたときも。例えば、バルザックとかの有名なバンドに引っかかって行ったら、興味ない10何バンドも見ることになるんですよ。そういうときに広がるっていうのはでかいですよね。
――お話を聞いていて、高校生にしてはかなりの行動力ですよね。
鳥羽山 いやいや、でも、そうでもないですよ。
丸山 早熟やったけどね。高校生で、大阪にライブに行くとかって。同世代でしてる人は一部やった。
鳥羽山 オールナイトのイベントをめがけて行ってたんですよ。一つは宿を取らんでええっていうこと。朝までやってるんで。あとは、いろんなバンドが出てるんで。まあ、朝まで大変ですけど、そこらへんは十代やから行けたっていう。
丸山 まあ、寝てたけどね(笑)
鳥羽山 そうやね(笑)
(文:池山 構成:山口 編集:辻本 写真:丸山)